SNSでも人見知り

ノイローゼ、視線恐怖症、対人恐怖症、躁鬱病、引きこもり

フェミニズムにもの申す

ぼくは、人種、国籍、性別でどうこう言うのが嫌いです。

 

一人の人間の命に、人種や、国籍や、性別が

関係あるでしょうか?

性別に特化してものを言うことに限界があると思います。

 

犯罪は、人間が人間に行う行為です。

まあ、人間が動物や自然に対して行う罪もありますが。

当たり前ですが、それらは許されるはずがありません。

 

現実に、男性と女性との間に不平等がある。

その不平等を解消せよ。

それが、男女平等だ。

 

ぼくもそう思います。

それを実現する時に、男性が・・・、女性が・・・、というアプローチの仕方に意味があるでしょうか?

 

不平等や差別、犯罪があった時は、

それは、人間として恥ずべき行為だ、

とは考えられないでしょうか?

 

フェミニズムの世界では、女性が男性を責めたり、攻撃したりすることが多い印象があります。

男性はこうであるべきだ、こうすべきだ、という意見に代表されるような。

 

女性が意見、考えを表明することが間違いでは決してありません。

そうではなくて、一人の人間として、意見、考えを表明する。

考え方として、人間として当たり前のことを、権利を主張する。

女性の権利、男性の権利、ではなく、人間の権利を考える。

 

性別を超えて考えないと、いつまでも男性と女性の間で、不毛とも思える意見の応酬が、永遠に続くような気がして、何とも言いしれぬ疲労感を感じます。

 

人間としてこうあるべきだ、という高い理想を持つべきです。

性別を超えて考えた方がいいと思います。

 

何か、上手く言えません。

こういうことを言うと、ものすごく非難されるかもしれません。

多くの人を敵に回すかもしれません。

 

フェミ関連のツイートを読んで、何かいつもモヤモヤするものがあって、そのモヤモヤを言葉にしてみました。

不快に感じる方がいたら、どうもすみません。

 

ぼくは、世の中に対してあまり意見を言いたいとは思いません。

なのに、なぜか書いてしまいました。

暑さにやられたのかもしれません。

酷評されたら、この話は削除して、なかったことにする予定です。