SNSでも人見知り

ノイローゼ、視線恐怖症、対人恐怖症、躁鬱病、引きこもり

80年代に戻ってやり直したい

ぼくの青春時代は80年代だった。

そして、その青春時代を無駄にした。

こういうことを言うと、だいたいそれは自己責任ということにされる。

無論、親の縛りがあろうとなかろうと、青春時代をどう過ごすかは自分の実力だから、充実した時を過ごせるか、否かは自分次第だということは否定しない。

それに、もう過ぎた時は取り戻せない。

今の自分にできることは、ただひたすらあの時代を思い出し、空想し、妄想することだ。

叶えられなかった自分を慰めるために、ひたすら空想する、妄想する。

それは、オナニーと一緒だ。

つまりマスターベーションなのだ。

ぼくは、マスターベーションを否定しない。

空想の中で、妄想の中で、ぼくは生きられなかった80年代を生きる。

やり直す。

オナニー野郎と呼んでくれて構わない。

嫌がらせされているのに気が付かないぼく

ぼくは、自分が嫌がらせをされているのに、そのことに気づくのが遅いです。

人の真意がわからない。

人の気持ちがわからない。

相手が発しているメッセージの意味に気づけない。

誤解してしまう。

バカにされているのに気づかないお人好しです。

というか、バカです。

だから、バカにされる。

何となくバカにされているような気がするのに、この人はいい人なんだから、そんなことはする筈はないと根拠なく思い込んでしまう。

相手がぼくをバカにしながら、せせら笑いを浮かべています。

〜こいつ、わたしにバカにされているのにそれに気づいていないよ〜どんだけおめでたいの?〜

ぼくは屈辱感でいっぱいです。

世を呪い、人を呪い、世間を呪い、そして空気が読めなかった母親を憎みます。

オマエノセイデオレハコウナッタンダヨ!セキニントッテヨ!

 

 

再び、フェミニズムについて

ぼくの信条は、人間には前世があり、今世があり、来世がある、です。

今世は、たまたまぼくは男に生まれました。

ぼくの前世には女性として生まれた過去生が確実にありそうな気がします。

戦前の農家の嫁のドラマなどをテレビで見ていると、ああ、ぼくの前世はひょっとしてこういう田舎の嫁だったのでは、とマジで思います。

人間の生まれ変わりを信じるならば、常に男に生まれるか、女に生まれるかは半々の確率ということになります。

来世、男に生まれるか、女に生まれるかも半々の確率です。

今世で、たまたま男であった、女であった。

来世は、女かもしれない、男かもしれない。

フェミニストの方達の怒りようは半端ないです。

そして、それを受けて立つ男性側の一生懸命さ。

でも、みなさん来世で逆の立場になるとしたら、どうです?

今世で男性である、今世で女性である、ということにあまりにも固執し過ぎていませんか?

魂のレベルで考えると、性別は絶対的なものではなく、相対的なものです。

男性へ向けた言葉、女性に放った一言、全部ブーメランになる可能性があるんです。

争うことに意味があるでしょうか?

自分の性別に固執しないで、俯瞰で男女のためにどうしたらいいか考えるのが得策では?

 

 

母親を殺したい

ぼくの心の中は、いつも不満に満ちています。

だいたいが、母親との葛藤です。

時々、無性に母親に対して憎しみが湧いてきて、激しく心が乱れます。

さっき、ふっと母親に対して殺意を抱きました。

母親とは何10年という付き合いですが、明らかな殺意を抱いたのは、今が初めてだという軽い驚きを感じています。

 

さっきまで、ちょっと1980年代のある映像を見ていました。

あの映像で演じられていることを、ぼくだって本来はできたはずなのに。

俺の青春を返せ!!

本当に怒りが込み上げてきました。

 

ストレートな自分の感情が自分ながらに心地いい感じです。

母親を殺す。

俺の青春を返せ!!

母親は殺せ!

俺の青春を返せ!!

 

ノイローゼで苦しんでいる

日々、ノイローゼで苦しんでいる。

頓服で精神科医からワイパックスという抗不安薬を処方されている。それを飲めば楽にはなる。

が、根本的な解決ではない。

 

ノイローゼを考える時、大切なのは自分を責めないことだ。

 

ぼくは、躁鬱病でノイローゼでひきこもりだ。

が、これらの症状の原因が全て自分にある、悪いのは全部自分なんだと思い込むと、いつまでたっても回復しないことに気づいた。

これらの病気は本人のせいではないのだ。

 

大体が親に問題がある。

 

自分に原因があるのではなく、親に原因があると考えられれば、治る。

 

事実、ぼくはそうだった。

 

ずうっと長い間、ぼくは母親にマインドコントロールされていた。

 

母親は大変に狡猾で、結局ぼくのことを大嫌いなくせに、それをはっきりと言わない人だった。

 

ぼくは、どうやら母親が大嫌いなぼくの父に似ているので、単純にぼくが嫌いなのだ。

 

お前は、わたしの嫌いなお前の父親にそっくりだから、ぞくぞくするくらい似ているから、お前が大嫌いだ。姿、形も見たくない。

わたしの前から消えてくれ、とはっきり言って欲しかった。

 

そうしたら、もっと早くに母親を嫌いになれて、母親の元を離れることができたからだ。

 

それを言うと母親は自分が悪者になるから、はっきりそうとは言わず、今の表情お父さんにそっくり、と指摘するにとどめた。

 

そして、そう言いながら、父親や父親の生き方をぼくの前で散々disった。

 

ぼくは間接的に毎日母親からお前は嫌いだ、と言われていたのに、そのメッセージに気付かず、どっぷり母親に依存した。

 

人は嫌いな人間には酷いことを平然と言うものだ。

ぼくは、母親の口から毎日人の悪口や、社会は自分の敵であるとか、他人は自分をおとしめる存在だという間違った考えを擦り込まれた。

 

悪いことの全ては母親の口から聞いた。

 

このことに現在の自分は気付くことができた。

これが大きかった。

今までは、父親に似ていることさえも自分が悪いと思い込んでいた。

世の中が敵であるとか、人は自分をおとしめる存在だとか、歪んだ認知をそっくりそのまま母親から引き継いでいただけで、そもそもそんな考えは母親が異常だからそう考えていただけに過ぎないと気付けた。

 

神経症な母親に育てられたから、ぼくも神経症になっただけなんだと思えた。

 

悪いのは自分じゃない、元々母親が異常だったんだ。

 

他人への敵意、自己嫌悪、抑圧、これらがぼくの対人恐怖症、視線恐怖症躁鬱病、ひきこもり、極度に咳払いを怖れる、唾飲み恐怖、自己肯定感のあまりにも低いということ、無気力、手の震え、不眠、胃弱、ぎこちない動作等々につながっていた。

 

ぼくは、これらのことを精神分析的に勉強して解明していくつもりだ。